2008年6月
4件の記事があります。
2008年06月23日歴史めぐり 《船上山》
大山隠岐国立公園 米子 米田美里
こんにちは。本格的な梅雨に入り、山陰では傘が手放せなくなってきました。他地域の晴れマークが羨ましいこの頃です・・・。
さて、今回は大山隠岐国立公園内にある船上山(せんじょうさん)について紹介したいと思います。
船上山は隠岐の島に流された後醍醐天皇が、1333年伯耆の豪族・名和長年に迎えられ、鎌倉幕府討幕のため挙兵した舞台として知られる、後醍醐天皇にまつわる史跡が多い場所です。また、4月下旬には万本桜祭りがあり、遅咲きの八重桜でいっぱいになります。
“船上山”の名の由来は、『屏風岩』とも呼ばれる断崖により山容が船の底のように見えることからだといわれています。
この屏風岩、以前船上山にきたときにロッククライミングをしている人を見ました。
真正面から船上山に挑むとは・・・。強者(つわもの)たちも真っ青ですね・・・。
船上山の一般的な登山口である東坂登山口を登っていくと、いきなり野原が広がります。
じつはこの野原が船上山の山頂になります。かつて後醍醐天皇はよくここで野点(のだて:野外での茶会)などを行われていたそうです。この山頂には山頂休憩小屋や船上山行宮碑があり、一休みするにはぴったりの場所です。
また、この場所は千丈のぞきへ続く道の入り口と船上神社に続く道との分岐点でもあります。
千丈のぞきへは入り口から急斜面を5分ほど下っていくとたどり着きます。

◎千丈のぞき
ここからの景色は一見の価値有り!ですが、先端の岩までいくのに足がすくみました・・・。
山頂から船上神社へは緩やかな坂になっており、ブナやミズナラ林に囲まれた道すがらには、寺坊跡や古石塔群などが多数あります。また、船上神社周辺には後醍醐天皇の行宮跡地と推定されている奥の院や千丈滝のぞきなどがあります。

◎船上神社
奥には“船上神社の大スギ”があります。

◎船上山之碑
船上神社にある船上山之碑には後醍醐帝という文字がはっきりと見えました。
船上神社は、かつて建武の頃には周辺に智積寺があり壮麗な社殿であったといわれています。しかし、度重なる戦乱や明治期の神仏判然令によって寺は場所を変え、今では神社のみになったそうです。

◎千丈滝のぞきからの景色
屏風岩を真横から見ることができます。運良く日本海まで見えました。
みなさんも是非、建武中興発祥の地・船上山へと足を運んでみてはいかがでしょうか?
さて、今回は大山隠岐国立公園内にある船上山(せんじょうさん)について紹介したいと思います。
船上山は隠岐の島に流された後醍醐天皇が、1333年伯耆の豪族・名和長年に迎えられ、鎌倉幕府討幕のため挙兵した舞台として知られる、後醍醐天皇にまつわる史跡が多い場所です。また、4月下旬には万本桜祭りがあり、遅咲きの八重桜でいっぱいになります。
“船上山”の名の由来は、『屏風岩』とも呼ばれる断崖により山容が船の底のように見えることからだといわれています。
この屏風岩、以前船上山にきたときにロッククライミングをしている人を見ました。
真正面から船上山に挑むとは・・・。強者(つわもの)たちも真っ青ですね・・・。
船上山の一般的な登山口である東坂登山口を登っていくと、いきなり野原が広がります。
じつはこの野原が船上山の山頂になります。かつて後醍醐天皇はよくここで野点(のだて:野外での茶会)などを行われていたそうです。この山頂には山頂休憩小屋や船上山行宮碑があり、一休みするにはぴったりの場所です。
また、この場所は千丈のぞきへ続く道の入り口と船上神社に続く道との分岐点でもあります。
千丈のぞきへは入り口から急斜面を5分ほど下っていくとたどり着きます。
◎千丈のぞき
ここからの景色は一見の価値有り!ですが、先端の岩までいくのに足がすくみました・・・。
山頂から船上神社へは緩やかな坂になっており、ブナやミズナラ林に囲まれた道すがらには、寺坊跡や古石塔群などが多数あります。また、船上神社周辺には後醍醐天皇の行宮跡地と推定されている奥の院や千丈滝のぞきなどがあります。
◎船上神社
奥には“船上神社の大スギ”があります。
◎船上山之碑
船上神社にある船上山之碑には後醍醐帝という文字がはっきりと見えました。
船上神社は、かつて建武の頃には周辺に智積寺があり壮麗な社殿であったといわれています。しかし、度重なる戦乱や明治期の神仏判然令によって寺は場所を変え、今では神社のみになったそうです。
◎千丈滝のぞきからの景色
屏風岩を真横から見ることができます。運良く日本海まで見えました。
みなさんも是非、建武中興発祥の地・船上山へと足を運んでみてはいかがでしょうか?
2008年06月16日芸予諸島 歴史ウォーキング
瀬戸内海国立公園 松山 永田清美
四国は例年より早くに梅雨に入りましたが、松山ではあまり雨の日は続いていません。
日に日に気温も上がり蒸し蒸しした気候が続きます。
さて先日、休暇村瀬戸内東予が主催する今治歴史ウォーキング
「芸予要塞の島を訪れて」が行われました。瀬戸内海の愛媛県北部に位置する
芸予諸島(げいよしょとう)。それぞれユニークな3島・来島(くるしま)、
小島(おしま)、馬島(うましま)を巡り、ボランティアガイドさんが島の
歴史のエピソードをじっくり紹介してくれた魅力満点のウォーキングでした。

来島(中央)の概観(2007年4月撮影)
来島は中世に瀬戸内海で活躍した水軍(海賊衆)来島村上氏(能島村上、因島村上
とともに村上水軍の3家のひとつ)が来島海峡の急な潮流を利用して天然の要塞として
本拠地を築いた島です。
全島が城跡であり、島のそこかしこに先人の軌跡が見られるこの周囲1kmの小さな島では、
今も人の暮らしが営まれています。
お城は残っていませんが、城の石垣跡や、水軍船をつなぎとめておくために岩礁に
穴をあけた跡(岩礁ピット(柱穴)跡)、島の守護神として創建されたといわれる神社
などなど、ぎゅぎゅっと当時の歴史が残っています。
特別に観光地化はされていないため、解説を聞かなければ見過ごしてしまうような
ポイントがたくさんありました。

(左上)来島城の石垣
(右上)来島の北部に残る無数の岩礁ピットのあと。
(左下)八千矛神社 社は海側を向いて建っているため鳥居の方向から見えない
(右下)神社には「折敷に縮三」という神紋が刻まれている。
逆さから見ると当地の水軍家の家紋になるそう。
3島間は小さな渡船で渡り、馬島からは対岸の今治市まで来島海峡大橋をウォーキング。
橋へは橋台の中に設置されたエレベーターでのぼります。
ここは高速道路のインターチェンジですが、歩行者や自転車・原付以外の一般の
車両は降りられません。島嶼部へ行くときにはよく利用する橋ですが、
下から見上げるとまた大きいんです、これが。

来島(来島水軍・戦国時代)→小島(芸予要塞・明治時代)→馬島(来島海峡大橋)
を巡り、戦国時代から現代までいろいろな歴史をかいま見られた一日でした。
ウォーキングでも一番時間を割いた小島については、また改めてご紹介したいと思います。
日に日に気温も上がり蒸し蒸しした気候が続きます。
さて先日、休暇村瀬戸内東予が主催する今治歴史ウォーキング
「芸予要塞の島を訪れて」が行われました。瀬戸内海の愛媛県北部に位置する
芸予諸島(げいよしょとう)。それぞれユニークな3島・来島(くるしま)、
小島(おしま)、馬島(うましま)を巡り、ボランティアガイドさんが島の
歴史のエピソードをじっくり紹介してくれた魅力満点のウォーキングでした。

来島(中央)の概観(2007年4月撮影)
来島は中世に瀬戸内海で活躍した水軍(海賊衆)来島村上氏(能島村上、因島村上
とともに村上水軍の3家のひとつ)が来島海峡の急な潮流を利用して天然の要塞として
本拠地を築いた島です。
全島が城跡であり、島のそこかしこに先人の軌跡が見られるこの周囲1kmの小さな島では、
今も人の暮らしが営まれています。
お城は残っていませんが、城の石垣跡や、水軍船をつなぎとめておくために岩礁に
穴をあけた跡(岩礁ピット(柱穴)跡)、島の守護神として創建されたといわれる神社
などなど、ぎゅぎゅっと当時の歴史が残っています。
特別に観光地化はされていないため、解説を聞かなければ見過ごしてしまうような
ポイントがたくさんありました。

(左上)来島城の石垣
(右上)来島の北部に残る無数の岩礁ピットのあと。
(左下)八千矛神社 社は海側を向いて建っているため鳥居の方向から見えない
(右下)神社には「折敷に縮三」という神紋が刻まれている。
逆さから見ると当地の水軍家の家紋になるそう。
3島間は小さな渡船で渡り、馬島からは対岸の今治市まで来島海峡大橋をウォーキング。
橋へは橋台の中に設置されたエレベーターでのぼります。
ここは高速道路のインターチェンジですが、歩行者や自転車・原付以外の一般の
車両は降りられません。島嶼部へ行くときにはよく利用する橋ですが、
下から見上げるとまた大きいんです、これが。

来島(来島水軍・戦国時代)→小島(芸予要塞・明治時代)→馬島(来島海峡大橋)
を巡り、戦国時代から現代までいろいろな歴史をかいま見られた一日でした。
ウォーキングでも一番時間を割いた小島については、また改めてご紹介したいと思います。
2008年06月10日キレイな中海・宍道湖のために・・・
大山隠岐国立公園 米子 米田美里
こんにちは!
そろそろ山陰にも梅雨が迫ってきました。
そんななか、本格的な梅雨入りをする前にということで、6月8日(日)に中海・宍道湖一斉清掃が行われ、米子自然環境事務所も参加してきました。
この中海・宍道湖一斉清掃は2005年に中海・宍道湖の両湖がラムサール条約湿地に登録されたことを受けて、2006年から行われています。
数日前から天気予報では雨とされていたこの日ですが、
当日は額に汗が滲むほどのよい天気でした。
今年の開始式は島根県安来市のハーモニータウン汐彩で行われ、島根、鳥取両県知事のほか多数の団体や地域の方々が参加されました。
また、今年安来地区では中海アダプトプログラムに16団体が新たに参加されるということで、認定書授与式も一緒に行われました。

◎アダプトプログラム認定書授与式の様子。
このアダプトプログラム、アダプトは「養子にする」という意味で、市民が一定区画を我が子のように愛情を持って面倒を見る、つまり清掃・美化活動をするというものです。2006年から今までに80団体が参加されているそうです。地域の人たちが一丸となって中海・宍道湖を大切にしているんですね。
一見するとほとんどゴミの落ちていないように見えた沿岸ですが、岩と岩の間には意外なほどゴミが引っかかっていて、皆さん岩間に手を伸ばしてゴミをとっていました。

◎清掃中・・・。見えているのに岩に阻まれてとれないゴミが憎らしい・・・。

◎集めたゴミです。細かく分別しました。
この安来市のほかに、この日は島根・鳥取両県あわせて6カ所で清掃活動が行われました。
『キレイな中海・宍道湖のために・・・』
別々の場所でしたが清掃活動に参加された方々の思いは同じだったのではないでしょうか。
そろそろ山陰にも梅雨が迫ってきました。
そんななか、本格的な梅雨入りをする前にということで、6月8日(日)に中海・宍道湖一斉清掃が行われ、米子自然環境事務所も参加してきました。
この中海・宍道湖一斉清掃は2005年に中海・宍道湖の両湖がラムサール条約湿地に登録されたことを受けて、2006年から行われています。
数日前から天気予報では雨とされていたこの日ですが、
当日は額に汗が滲むほどのよい天気でした。
今年の開始式は島根県安来市のハーモニータウン汐彩で行われ、島根、鳥取両県知事のほか多数の団体や地域の方々が参加されました。
また、今年安来地区では中海アダプトプログラムに16団体が新たに参加されるということで、認定書授与式も一緒に行われました。
◎アダプトプログラム認定書授与式の様子。
このアダプトプログラム、アダプトは「養子にする」という意味で、市民が一定区画を我が子のように愛情を持って面倒を見る、つまり清掃・美化活動をするというものです。2006年から今までに80団体が参加されているそうです。地域の人たちが一丸となって中海・宍道湖を大切にしているんですね。
一見するとほとんどゴミの落ちていないように見えた沿岸ですが、岩と岩の間には意外なほどゴミが引っかかっていて、皆さん岩間に手を伸ばしてゴミをとっていました。
◎清掃中・・・。見えているのに岩に阻まれてとれないゴミが憎らしい・・・。
◎集めたゴミです。細かく分別しました。
この安来市のほかに、この日は島根・鳥取両県あわせて6カ所で清掃活動が行われました。
『キレイな中海・宍道湖のために・・・』
別々の場所でしたが清掃活動に参加された方々の思いは同じだったのではないでしょうか。


さて、前回の私、松山ARの日記で休暇村瀬戸内東予が主催する
今治歴史ウォーキング「芸予要塞の島を訪れて」の様子と島の紹介をしましたが、
今回はその続編で、芸予要塞の島・小島をご紹介します。
小島の概観
小島は来島海峡の真ん中にあり、上からみると島の形が楽器の「琵琶」
に似ているため、「びわ首」という地名も残っているそう。
周囲約3kmの島で来島と同様、今も人の暮らしが営まれています。
小島には19世紀末にロシア海軍の侵攻に備えて、広島県の大久野島と同時期に
砲台などを備えた要塞が建設されたそうです。
結局戦争では小島砲台は利用されなかったそうで、今も保存されている
要塞跡が当時の面影を残しています。
(左上)砲台跡 地下兵舎と砲台が置かれた「砲座跡」が残っている。
(右上)爆薬庫跡 引火しても被害が少ないように、砲台からは離れた山の傾斜地を掘り、
窪地にしたところに設置された。
(左下)頂上部にある司令塔跡 壁には穴があいていて、ここから
下部にいる人に指示を送ったそう。
(右下)発電所跡
要塞跡は、ものものしくはありますが、植物に覆われてひっそりとたたずんでいました。
今は使われなくなった建物にたいして、植物のいきいきした生命力を感じました。
また、小島には、「子どもたちの創意工夫で運営し、自然の中で学ぶ場所」として
誕生した、いまばり風の顔ランド・小島があります。
島内での海水浴やキャンプなどを楽しむことができ、夏にはいろいろな行事が
企画されているようです。
こどもたちが探検するのにはぴったりの島だなぁと思います。